母親がこどもにたずねる。

子供たちにも親に向かって

そこでは、自分が王様なのです。何事にも自分が中心なので、ものおじしないのです。
こんなことを言ったら相手が傷つくのではないかと、相手を尊重する気持ちが、思いやりにつながるのです。思いやりを持っていれば、ものおじするようになるものです。つねに相手の立場を考えられるようになれば、自分もそんなふうに言われたらいやだなとわかるはずなのです。
聖書に「自分にしてほしいことを、他人にしてあげなさい。自分にしてほしくないことは他人にもしないように」といった意味の言葉があります。慎ましさ、奥ゆかしさというのは、相手を自分よりも優先的に考えるということに通じると思います。これは確かに難しいことですが、自分は人に奉售るためにこの世に生を受けたのだという気持ちを持つ人間に育ってほしいのです。
子育てのブレない軸

大学へと進みました。

勉強し直して

ものおじする子供のほうが、人を尊重する気持ちを持っているのです。
子供のいいところをつぶさずに伸ばしてほしいものです。
お父さん、お母さんは、その引っ込み思案は慎重ということものおじということと通じるかもしれませんが、うちの子供は引っ込み思案で困るといったことをよく聞きます。確かに引っ込み思案では、学校などの集団生活の場に入ると、困ることも多くなるでしょう。たとえば、言うべきことをきちんと言えないとか、なかなか周囲になじめないなどといったともありますしかし、引っ込み思案ということは持って生まれたその子供の性格ということが大きいのですからお母さんは子供を長い目で見守ってあげてほしいのですまず、引っ込み思案の子供には、自信をつけさせてあげることが大切です。


子どもに文句を言っている
子どもに文句を言っている

母さんは怒っているのです。

教育だと思う。引っ込み思案であることを責めるのではなく、あなたもやればできるでしょうできるわよ、やってごらんなさいほら、できたじゃないなどと励ましたりなぐさめたりすることです。それもはじめから、いっぺんにその性格を直そうとするのではなく、少しずつ積み重ねていくことです。
引っ込み思案というのは、言葉を換えていい面を見れば慎重ということにもなります。浩宮様は引っ込み思案というほどではありませんでしたが、とても慎重な性格でした。ですから、何でもすぐに飛びつくといったことはありませんでした。たとえば、幼稚園時代には他の子供みんながジャングルジムで遊んでいると、最初の間は見ているだけで、ご自分はすぐには仲間に入らないのです。そして、二、三日観察を続けて、これならば自分もできそうだと思うと、ジャングルジムで遊ぶのです。
浩宮様の場合には、このようによく言えば慎重なのですが、半面、何事も遅いということがありましたとえば靴をはかれるのも遅いし、お食事も遅いのです。
教育というものが真子どもが友達とケンカをしたとき明ところが、集団生活となったら、給食は決められた時間内に済ませなければなりません。浩宮様のようにゆっくりでは、集団生活についていけるのかと、両殿下はとても心配なさいました。
ですから、みんなのスピードについていけるように、靴を履く練習を繰り返しさせたりしていらっしゃいました。普通ならば、見ているといらいらして、手を出したり、口を挟んだりしたくなるのですが、妃殿下は我慢強く練習させていらっしゃいました。
また食事については、毎日お食事のときに「徳ちゃん、もう少し早くなさい。そうしなければ、私たちは二階に行ってしまいますよ」とおっしゃりながら、少しずつ早くできるように、練習させていらっしゃいました。
もちろん、持って生まれた性格もありますから、いくら練習したからといって、それほど早くなるわけではありませんが、集団生活についていけるくらいには努力する必要があったのです。

中学校を待望する

そのために、両殿下はとても根気よく時間をかけて、見守っていらっしゃいました。
このように、その子供の持って生まれた性格は、決して無理せずに、それでは困るというのであれば親は長い目で見守りながら、少しずつ直してあげることです。また、引っ込み思案といっても、逆に見れば、慎重で何事もゆっくりだけれども一度理解すれば、とても深く理解し、自分のものにするといったこともあります。ですから、お母さんは子供の性格、特徴をきちんととらえて、その性格の短所だけを見ずに長所を伸ばしてあげてほしいのです
人の心がわかる人間に自分がされていやなことは人にしないお話ししてきたように、当時の皇太子殿下と妃殿下には、浩宮様を人として立派な人に、人として恥ずかしくない人間にという基本の教育方針がありました。
教育も素晴らしい。


経験があるというこういう話を聞く
経験があるというこういう話を聞く

高校に通っていました。

その背景には皇室の人間としては、国民の模範になるような人間でなければならないということも当然あったでしょう。そして、具体的には明治天皇はじめ歴代の天皇を模範像として考えられていたと思いますそれでは、現代、私たちが立派な人というときに、うか。その手本となるような人物像があるのでしょうか。
具体的にどのような人を考えているのでしょ私の時代には、学校に修身の時間があって、いろいろな偉人について教えられてきましたし、また偉人の伝記をたくさん読んできました。

個性の差によっていろなににしても親にしてみれば