教育などというものはできません。

子どもに語らなければならない

結局子供は謝りませんでしたこの様子を見ている限り、両親は普段、子供にそんなしつけをしていないのではないかと思いますそのホテルは高級で、たいへん静かなホテルですから、子供が騒いでいると、とても気になります。しかし、子供が騒いで周囲に迷惑をかけていても、両親はおざなりな注意をするだけで、灰皿を割るまでは、きちんと叱ったりしなかったのです。その結果、灰皿を割ってしまったのです。
普段はきちんと言っていないのに、その場だけは言わせようとしたから、子供が謝らなかったのでしょうどうも普段はきちんとしたしつけをせずに、ことが多すぎるのではないでしょうか。
教育などというものはできません。

子どもとの差がとても大きいのです。

子どもを非行に走らせる要因として大きいが別

そんな場に出たときだけは何とか格好をつけようという浩宮様の教育で、ご両親殿下がまずしつけてほしいとおっしゃったのは、ありがとうというお礼を言うこと、ごめんなさいとお詫びをすること、食事の前にはいただきます、食後にはごちそうさま、そしておはようさようならときちんと挨拶ができるということでした。
つまり、感謝の言葉、お詫びの言葉、挨拶の言葉の基本をしつけてほしいということです。
この基本厳しくしつけていらっしゃいました。
いただきます
については、ですから、と言わなければ、食べさせない、ごちそうさま
と言わなければ食堂を出てはいけないというふうでした。
講演などで、このようなお話をすると、お母さんの中には、「そんなに小さいときから厳しくしつけられては、子供がかわいそうではないですか」と言う人がいますしかし、何カをしてもらえばありがとうと言い、食事をする前にはいただきます、悪いことをしたらごめんなさいと言うのは、当たり前のことなのです。この当たり前のことが、きちんとしっけられていないと、大きくなってから人との関係がうまくいかなかったりするのです。


父親をやってこれたのだと思います。
父親をやってこれたのだと思います。

子供がかえって

子どもの金銭しかも、ある程度大きくなってからでは、このような基本的なしつけはなかなか身につきにくいものです。そこで教えようと思っても、子供は理屈をこねて反抗したりしますまだ物心つく前から、ですこうした基本的なしつけをするから、子供は自然に身につけることができるの浩宮様がまだ片言しかしゃべれないような幼い頃から、私にオーちゃん、おはようとか、オーちゃん、ごめんなさいといった言葉が出るように、妃殿下が何度も教えていらっしゃいました。ですから、朝、人と会えばおはようという挨拶をするものだというのが、考えなくても自然にできるのです。
こうした挨拶や謝りの言葉というのは、基本的なしつけです。しつけとは、身についていなくては困るものです。こういうときはこうするものだというように、いちいち考えてするものではありません人とぶつかったときなど、ごめんなさいと一言謝りの言葉がすっと出るのが、しつけが身につい人です。
母親がこどもにたずねる。子どもの興味に対してそこで、「あっ、ぶつかった。これは自分が悪いのか、相手が悪いのか。自分が悪かったら謝らなくてはいけない」などと考えるものではありません。
このしつけがきちんと身についている人と、な差が出てくるのではないでしょうか。
身についていない人とでは、大人になったときに、大きしつけの基本は形から入る
こうした基本的なしつけというのは、子供が小さいときからきちんとしつけなくてはいけないことです。ある程度大きくなってからですと、教えるほうも大変になるし、教えられる子供のほうも、なぜ,んなことを言わなくてはいけないのかなどと理屈でとらえて、疑問も感じるようになるからですそれでは、二、三歳の幼い,子供が、なぜおはようと挨拶しなくてはいけないか、なぜごめんなさいと謝らないといけないかがわかっているかといったら、本当の意味はわかってはいないでしょう。
本来は、相手に心から感謝しているからこそありがとうと言い、相手に悪いと思っているからこそごめんなさい
という謝りの言葉が出てくるものです。
つまり、心が相手に通じるということが、その言葉を表現する目的なわけです。

学校から帰っていくといった程度で済むのです

その心が大切なのですそれならば、心で思っていることが大切なのだから、形である言葉に縛られる必要はないじゃないかという意見もあるかもしれません。悪いと心で思っていればいいので、それをいちいち、ごめんなさいと言う必要はないというわけです。
しかし、心で思っているだけでは、必要になるのです。
相手には通じません。
ですから、その心を表す言葉がどうしても自分の心を表現するのに一番ふさわしい言葉を使うことで、人間というのは心が通じ合うのです。
本来ならば、感謝する心があってはじめてありがとうという表現が出てくるところです。そして、それが心を形で表現するということなのです。
つまり、心があって形があるというのが本来のあり方です。
子どもにもこのことは教えておきたいものです。


先生はヤマシタ教頭にその放課後教頭
先生はヤマシタ教頭にその放課後教頭

子どもの机の引き出

ところが、幼い子供にとっては、そのようなことはわかりません。感謝の心といったことや、悪いことをしたということすらわからないといってもいいかもしれません。
ですから、幼い子供に教える場合には、形から入ることも必要なのです。ことに基本的なしつけはまず形から覚えてしまうことです。心というものがわかるようになってからでは遅いのです。
お母さんは子供に、人に何かをしてもらったら、ありがとうと言いなさいというように、こうしたときは、このようにするのですよと子供に身をもつて覚えさせてほしいものです。そうした形が身についてから後で、心がついていけばいいのです。
さきほどホテルで灰皿を割った子供も心の中では悪いことをしたと思っているかもしれません。しかし、それが形として表せなくては、その気持ちは誰もわかってくれないのです。

先生のような知恵のある