母親の言葉を思い出しあ

子どもに大人と同じ目線で世の中を見

教育に熱を注いでいます。
父親の反応があらわれる前に速

平等ということばかりを考えて、親としては、きょうだいは同じように叱ったりほめたりしなくてはならないと、誤解しがちですが、その子の性格に合った叱り方をしないと、かえって傷つけてしまって、いい子に育つようにという親の気持ちが伝わらないといったことになりかねません同じようにするほうが親としては楽です。それぞれの子供に合ったほめ方、大変なことかもしれませんが、怠らずに、工夫してほしいものです。
叱り方を工夫することは男の子と女の子では教え方が違う平等ということでは、戦後男女同権ということで、男も女も同じように平等に扱わなくてはいけないという考え方が浸透してきました。平等であるのは当然ですが、しかし、男女をまったく同じよう
扱わなくてはいけないというのは、ちょっと違っているのではないでしょうか。

子供の気持をさぐらなければと思う。

東宮侍従を退官してすぐに聖心女子学院教諭として、中学生と高校生の物理と化学を担当しました。
そのときに中学一年生の理科の教科書が、当時息子も中学1年生でしたが、その息子の教科書とまったく同じだったので、びっくりしたことがあります。
聖心女子学院というのは、生徒はもちろん女子ばかりです。
が同じというのが、私には不思議だったのです。
その女子に教える教科書と男子の教科書カー!
同じ理科を教えるのでも、男の子と女の子とは受け止め方が違います。
その違いがずいぶんとはっきりしてくるものです。
とくに中学生くらいになると私は息子に対しては、物理でも化学でも数学でも徹底的に理屈で、理論的に教えました。

子供のために祈ってくれているだけ

男の子というのは理屈っぽいことが好きなものです。ですから、理論的に説明したほうが、理解も早いのです。
ところが、女の子はそうではありません。理屈よりも具体的なことに興味を持っています。
具譑なことから入っていくほうが理解が早いものです。
ですからたとえば、化学の授業でも、男の子には、理論的に化学式から入っていってもいいのですが、女の子には、お母さんが台所で使っている洗剤など具体的なものを先に例に出して、それがどういうものかと進んでいったほうが理解が早いのです。
つまり、教える中身は同じですが、富士山に登るにも、いくつかのコースがあるように、する教え方と女の子に対する教え方は、アプローチの仕方が違っているのです男の子に対現在は、男女同権という名のもとに、まったく同じ教科書を使って、同じ教育をしているのですがどうもそれはちょっと違うのではないかと思います。子どもたちに教え

子どもたちが悪いわけではありません。

男子学生には男子学生向きの教科書があり、女子学生には女子学生向きの教科書があってもいいのではないでしょうかそんなことをすると、すぐに男女差別だという反対の声も起こりそうですが、それは差別ではなく、男女の向き、不向きがあって、性質が違うのですから、その質に合わせて教えていくのが、教育のあり方なのではないでしょうか。
女の子には叱り方があるまた、厳しくするときでも、男の子と女の子ではやはり違います男の子の場合には、何か悪いことをして叱らなくてはいけないようなとき、クラスの中でみんなの前で名指しで叱ってもあまり傷つくということはありません。
そのことを根に持つということもありません。
それはそれとして、割り切れるのです。
ところが、女の子の場合には、みんなの前で叱ったりすると、とても傷ついてしまいます。

学習塾に通わされています。
両親が余りにも苛酷な苦労を耐えてきたという人生

子どもと向き合っていけるとよいですね。

父親の意識に関する世論調査みんなの前では、その子を指名して叱るのではなく、こんなことをするのは人間として恥ずかしいことだといった、一般的な注意のような形をとって叱ることですたとえば、登下校のときのバスの中で、他のお客さんの迷惑になるような大きな声でおしゃべりをしている。周囲の人たちは迷惑そうな顔をしているのに、その生徒たちはまったく気がつかない。
そんなときに、教室で、「誰だれさんは、今日バスの中で大声でおしゃべりをしていたけれど、惑になるから、これからは、気をつけましょうね」
そういうことは他のお客さんの迷といった注意の仕方は、本人が傷ついてかえって逆効果なのですそれよりも、一般的な注意として、こんなふうに言うほうが効果的なのです。
「登下校のバスは、あなたたち生徒だけが乗っているのではなく、他のお客さんもご一緒なのですから話してはいけないとは言いませんが、あまり大声でおしゃべりをして、周囲の人たちの迷惑にならないようにしましょう」

先生に言った。

そう言われれば、言われた当人は気がついているはずです。他の生徒には、いように注意してもらうことが、その生徒にとっては救いなのです。
誰ということがわからな女の子の場合には、みんなの前で叱られたりすると、悪かったのでそれを直そうという気持ちよりもみんなにわかってしまって恥ずかしいとか、そのことで、先生を恨むといったことになりがちなのです。
ですから、私が女生徒たちを相手にしていたときに、心がけてきたのは、彼女たちの心を傷つけないようにして、注意をするということです。叱らなければいけないようなときには、その生徒を職員室や
応接室に呼び出して、個人的に注意を与えたり叱ったりしたものです。


子どもたちに教え 母さんは赤ちゃんの国語 子どもを苦しめるばかりです宿題をたくさんに出

両親との面接のとき

小学校時代臨海

子供を連れに来てその中に入れ中国に売るのだ
子育ては自分

また、こんなこともありました。
浩宮様は昭和三十五年二月二十三日にお生まれになりました。
たしかその年の九月のことですから浩宮様はまだ生後七か月くらいのことで、まだ私がお仕えする前のことでしたが、十日間ほどいらっしゃるといったことがありました。
両殿下がアメリカにこのときは看護婦さんが浩宮様のお世話をしていたのですが、妃殿下はご自分で、弾き語りでシューベルトの子守歌とかモーツァルトの子守歌といったいろいろな子守歌を一0曲くらいテープに吹き込んで、そのテープを看護婦さんに、毎晩浩宮様がお休みになるまえに聴かせてあげて下さいと渡されていったそうです。
このことからも、たとえ量的には一緒に過ごすことはできなくても、質的な面で、お子様とのスキンシップを大切にされていたかがわかるのではないでしょうか妃殿下がいかにまた、三人の宮様がまだ幼いとき、緒に食事をなさっていました。
小学生くらいまでは、両殿下は夜の公務がない限りは、必ずご一ところが、中学、高校になると、それぞれクラブ活動がありますから、三人の宮様が帰られる時間もそれぞれ違って、遅くなるようになります。そこで、どうしても揃ってお食事をすることが難しくなってきます。

子どもに我慢させるのではなくて

そこで、これは妃殿下がお考えになったと思うのですが、夜の九時にティータイムというのを設けて、みんなが揃って、ケーキを食べ紅茶を飲みながら、今日は学校でどんなことがあったのかといったことを話せる時間をお作りになったのです。
子供が大きくなるにつれて、一般の家庭でも食事はバラバラになるし、それに従って、親と子供との会話がなくなってきます。とくにお父さんは夕食の時間までに帰るというのは、なかなか難しく、子供との会話は少ないのではないでしょうか。そんなご家庭は、このようにティータイムなどを設けて、子供と会話する機会を作ってみてはいかがでしょうか。

子どももその場の雰囲気に慣れてくるものです。

忙しいといえば、一般の人などとは比べものにならないくらいお忙しい両殿下がこのように、タイムを設けて、お子様とのスキンシップにつとめているのは、大変なことです。
ティー普通だとすぐにできないと考えてしまうと思うのですが、できないのではなく、工夫をしてみることが大切ではないでしょうか。どんなに忙しくても、子供とのスキンシップをいかにとるかというのは、それぞれの工夫次第できっとできるはずです。またそのスキンシップは単に量の問題ではなく質の問題だと思います
供の心に安らぎをお母さんがいてくれるという安らぎすでにお話ししたように、私の場合には十歳のときに父を亡くしています。それ以後は、母親だけに育てられてきたわけですが、だからといって、マザー·コンプレックスになったということはないようです。子どもの衝動性が低かった。

子育ての究極のゴールは何でしょう?

母は父がいないだけに、かえって自分が父親の代わりもしなくてはいけないということで、厳しくなったくらいです。
私が大人になってからのことですが、の役もしたと言っていました。
「父親がいないために、弱虫になったと言われないように、父親たしかに父はとても厳しかったことを覚えています。
私は父に叱られて、父の書斎によく立たされたものですこれは、父が亡くなった後で母から聞いた話ですが、父が私に1時間立っていろ」

経験として生きる
子どもに好きなことをさせてやれと言いたい。

教育が必要

学校へ行くことができました。と叱った後で母がよく叱られたそうです。
「なぜ、あのときに、おまえはお母さんも一緒にお詫びしてあげるから、ここで許していただきましょうねととりなさなかったのか。おまえはぼんやりとしている母親だ」
このように言われたそうです。つまり、父親としては、一度口にしたことは取り消すことはできませんが、それでも母親がとりなせば、仕方ないといった形で許すこともできたというわけです。まだ七八歳の子供を一時間も立たせてはかわいそうだという気持ちは、父にもあったのです。
昔は厳父慈母といった理想の親像があって、父は厳しいけれど、母がやさしいといった役割分担があったのです。

子供についてこういうことをしてやるのがこういう

父はたしかに子供たちに厳しく対処したのですが、母は父のフォローをしてやさしくしなかったということで、ぼんやりしている愚かな母親だと責められたわけです。ですから、母はどちらかというと、さっぱりした気性で、子供たちにベタベタしたところなどありませんでした。
父のことでよく覚えているのは、これは父が亡くなった年ですが、こんなことがありました。
学習院の初等科では当時、夏休みに臨海学校があって、十日間ほど沼津に行って水泳の訓練を受けるのです。その間に父母の参観日があって、東京からお母さんなどがやって来て参観するわけです。
まで一度も来たことがないのに、私が初等科の四年の夏に、父が参観にやって来たのです。
それ当時は東京から沼津まで汽車で何時間もかかります。


子どもの衝動性が低かった。 子どもに向かっている世間 中学校では既に四十年前