教育を打ち破らなければなりません。

中学生が乗ってきた。

子ども不在であることがしばしばです。
子ども部屋の収納は可能な限

つまり、する気持ちがあるのですそれを作った人の心を大切にするという、相手の心を尊重私が聖心女子学院の教師をしていた頃のことですが、これはとても恥ずかしい話ですが、落とし物に高級そうな腕時計などがたくさん出るのです。ところが、それを落としましたと言って探しにくる生徒がとても少ないのです。なくした生徒は、またお母さんに買ってもらってしまうのでしょう。
なくしたら、また買ってもらえばいいという意識で、物を大切にしようという気持ちがないのです。

母の姿です。

なくしたからといって、そんなに簡単にまた買ってやるお母さんも困りものです。
これは今から十年以上も前の話ですが、いるのではないでしょうか。
今はさらにこのように物を大切にしない傾向が大きくなって
物を大切にしないというのは、人の心も大切にしないということにつながっていくと思います。
に物の大切さを教えるためには、お父さん、お母さんがまず自分が物を大切にすることです。
子供子供に欠乏感を味わわせることも大切これは特殊な例かもしれませんが、ます皇室では、質素ということが伝統的な美徳として重んじられていたとえば、浩宮様が学校にいらっしゃるようになると、当然鉛筆を使うようになります。筆箱にはいつも鉛筆を五、六本入れてありますし、その鉛筆を学校でも帰ってから勉強するときにも使います。使えば、短くなりますから、ある程度で長い鉛筆に替えることになります。浩宮様は短くなった鉛筆を美智子妃殿下のところに持っていって新しい鉛筆をいただくのです。

経験が連想されてしまうのであろう。

それも七、八センチくらいまで短くならないと、新しい鉛筆に取り替えてくれないのです。
もちろん、鉛筆などはいくらでも豊富にあります。なくなったからちょうだいと言われて、あげるのは簡単なことです。しかし、使いにくくなるくらい短くならないと、決して新しい鉛筆と取り替えてはあげないのですこんな様子を見ていて、これはうちなどよりも厳しい
浩宮様のほうが質素に育っているくらいです。
と思ったものです。
我が家の子供たちよりもまたこんなこともあります。浩宮様の幼いときに、美智子妃殿下は、アンデルセン童話などの童話やおとぎ話を何度も繰り返し読んであげたりなさったものです。そういった本は、何度も読むのでもうボロボロになってきます。その本を礼宮様のときもお使いになり、さらには紀宮様のときにもお使いになっていらっしゃいました。高校生同士が話しているのを聞いている

子どもにもよい影響を与えることです。

一般の家庭などよりもはるかに質素に暮らしていらっしゃるくらいです。それで、子供がいじけてしまったかといったら、そんなことはありません。立派に成長なさっていらっしゃいます。
物を大切にする、質素ということは、とても大切なことです。
大切にすることによって、作った人の
心を大切にすることにつながるのです。
物を買い与えるということは、とても簡単なことです。子供からあれが欲しいとねだられて買い与えれば子供も喜ぶし、親も子供に泣き叫んだりされずに好かれるだけですから、簡単です。それを拒絶するほうが、親にとってもエネルギーのいることです。
次から次へと子供にとって目新しい物が出てきます。
しかも今はいろいろなおもちゃも豊富にあって、子供の欲しい物への欲求は限りがありません。
しかし、子供の欲求に応えて、次々と物を買い与えていたら、それまで買ってもらった物は少しも大切にしなくなります。ちょっと使って飽きたら、また新しい物を買ってもらえばいいのだということが身にしみついてしまいます。

子どもの発達途上において
母さんの気持ちは静まるでしょう。

子どもの趣味に反発や嫉妬を感じ

母さんはそしてもちろんお父さん私の五人の子供たちは、すでにそれぞれ成人していますが、子供の頃に私がねだられても、誕生日やクリスマスといった子供にとって特別なとき以外には物を買い与えなかったことについて、今になって、こんなことを言っています。

誕生日とかお正月とか、クリスマスとかは、待ちに待っていた物をプレゼントされて、とても楽しかっいつでも買ってもらえたならば、このような思い出は残っていなかったでしょう。
らえない物が、その特別な日に買ってもらえたからこそ、喜びも大きかったのです。
いつもは買っても子供に欠乏している状態を味わわせることも、大事なしつけではないでしょうか。いつでも思い通りに与えられたら、喜びもありません。

勉強の中断が何だと言うのでしょう。

ないことに我慢しているからこそ、手に入れたときの喜びは大きいのです
自分を振り返ってみる自分の子供だったら
と考えてみる私が浩宮様のご養育係の侍従として、つねに心がけてきたのは、何度か述べていますが、人として立派な人、人として恥ずかしくない人という両殿下のお言葉でした。
浩宮様は、将来天皇になられる方だというのは、もちろん生まれつき決まっていることですから、あまりそれを意識してしまったら、実際に教育していく立場としては、それこそ畏れおおくて手が出ません。天皇陛下のお尻をたたくなんてという畏れが先に立つことになりますですから、そこで浩宮様と接していくときに考えたのは、僭越かもしれませんが、ら、こんなときに父親として私はどうするかということでした。

自分の子供だった誰でも自分の子供は一番かわいいし、自分の子供にはいい子に育ってほしいと思っているはずです。


高校生同士が話しているのを聞いている 高校生同士が話しているのを聞いている 教育を打ち破らなければなりません。