育てたら知能の発達した人間

子どもの話をさえぎ

日本にも何度も来ている、マザー·テレサという有名な宗教家がいます。
この人が、痛まない愛は本物ではない
と言っています。
私たちは、親友とか友達などといって人と付き合っていますが、よく考えてみると、「あの人とは、親友であったほうが、試験前のときにノートを貸してもらえる」とか夏休みには、あの人のお父さんの別荘に呼んでもらえるとかいうように、そこに何かのときに得だという計算が働いていたりするものですそこには、その人を踏み台にして、自分が得をする、幸せになりたいという気持ちがあります。

母が同居している

には、友達に対する愛などはなく、打算しかありません。
それマザー·テレサの言葉は、その人に何をしてあげても何の見返りもない、それでもしてあげるのが愛だというのです。その人の世話をするために自分の時間を使って、本当は他のことをしたかったのにその時間を犠牲にした。あるいはお金や物質的なものも出す。そうまでしても、相手からは何も返ってこない。それはやはり自分にとっては、犠牲を強いられる痛いことです。
私たちは、たいてい自分が痛まない範囲内でしか、人に親切にしていないのではないでしょうか。
自分が本当は別にしたいことがあるのに、その時間をさいて人に何をしてあげることは、やはり痛いことです。そんな痛い思いをしてまでもするというのは、とても厳しいことです。本物の愛というのは、マザー·テレサが言うように、痛むのです。しかし、頭ではわかっていても、実践するのは大変なことですそこで、与えることは受けることよりも幸せであるという聖書の言葉が生きてくるのです。

 

子どもに自由な遊びの無限の愉

子どもに注意を与えるときはまず母さんの願い

損得で考えれば、与えればたしかに損をすることになります。そこに痛みがあるわけです。しかし、与えることを実行してみれば、私のようなものでも、人のお役に立つことがあるんだという満足感を感じることができます。それは自分が与えてみてはじめてわかることです。
現代は損得でとらえるのが当たり前で、います。しかし、こんな時代だからこそ、が求められているのではないでしょうか。
損得抜きで人と付き合うのは愚かだといった風潮が支配して自分を犠牲にしても人に尽くす、人に与えるという、痛む愛
我が子の使命は何か身勝手な押し付けは困る親というのは、子供に対しては、与え尽くすものです。

子どもには大幅な自由を認め親は見返りを期待して子供にしてあげているわけではありません。子供はそんな親の愛を当たり前だと思って受け入れています。受けるだけ受けて成長していくのです。
しかし、自分が親になってはじめて、与え尽くしてきた自分の親の気持ちもわかるものです。
ところが、親には、親の側の身勝手な面もあるものです。子供に対して、自分がかなえられなかったそれは見返りを期待しているともいえるので夢を託すのは、す子供に対する親の身勝手な押し付けです。
それにもかかわらず、親は自分では、自分は子供のためにそうしていると思い込んでいるのです。
子ども達の記号やサインを読み
子ども達の記号やサインを読み

学習のできるわけがない。

子どもの依存性を強めます第四たとえば、子供に、いい学校を卒業させて、エリートとしての道を歩ませたいというのは、親の側には子供が幸せな人生を送れるようにするためにという理屈があるかもしれませんが、往々にして親が自分がエリート·コースを歩めなかった夢を子供に託しているのではないでしょうか。
そのことを、親の側が自分で気がついていないだけに、をしてやっていると思い込んでいるのです。
困るのです。
自分では子供にとっていいことこういう親の期待は、子供にとっては重荷になります。本当に子供のことを思いやっての上での期待ではないのです。それはお母さんの自己満足のためであったり、お父さんの自己満足のためなのです。

母親側の記録であって

ここに親の側の問題があるともいえます。親はたしかに子供に与え尽くし、親になってはじめて、人間として与える喜びを知るという面があるのですが、どうもそこには与えるだけではなく、自分も子供から与えてもらいたいという面もあるのです。しかも、自分が与えられたいと思っているのを、自分では気がついていないのです。
人間とは弱いものです。与え尽くすことは、本当に難しいことです。なかなかわからないものです。
頭ではわかっていても、実際にそれができるかというと、なかなかできないものです子供は敏感なものです。ですから、いくら親が、あなたのためにと言っても、そこに親の側の身勝手な夢の押し付けがあれば、そのことを頭で理解できなくても、何となく感じとってしまうものです言葉だけで言うのならば、教育はやさしいものです。母親は折に触れて


母さんの願い 子どもにもこのことは教えておきたいものです。 いじめたりしないわね

子どもが自分の思いどおりにならない

先生をやとなる。

しかし、外科の医師が、「きょうはこういう手術を行う。この手術はすべて神の誉れと人々の幸せのためにお捧げします」という意向を持って手術を行うことはできるでしょう。こうした意向を持つことが祈りなのですこうした意向を持つことは、決してむずかしいことではないと思います。この仕事を病気の母のために捧げますといったことは、みなさんよくやっていることではないでしょうか。自分だけのためにやるのではなく、人のためという意向を持ってすることによって、人は一生懸命にやらざるをえなくなるのです。
単に自分のためだけでなく、人のためにするといった祈りの気持ち、意向を持つことで、どうしても集中してやらざるをえないのです。

先生にも親にも言えないようなひどい

ですから、集中力の原動力としては、意向ということも重要な要素ではないかと思います与えるために受けてきたことを知る一般に、お母さん方が子供に勉強しなさいと言うとき、「お父さんやお母さんのためではなく、分の将来のためなのだから、勉強しなさい」と言うのではないでしょうか自このことも確かなことです。しかし、もう一つ次元を高めて、「あなたが勉強するのは自分のためでもあるけれど、それは偉くなるとかそういうことではなく、みんなに喜んでもらえるような人の役に立つような人間になるために勉強するのですよ」と、子供たちに教えてほしいものです人のためと、自分だけが偉くなる、エリートになるということでは目的意識が一八0度違います。今の子供たちが勉強をしているのは、自分のためだけではないのでしょうか。

 

先生でもない

先生でも近所のおじさんおばさんでもいいのです。育てたら知能の発達した人間

だから、勉強ができても自分勝手な人間になりがちですし、また勉強がいやになったら、そこには、人のためといった目的意識がないのですから、勉強するもしないも自分の勝手じゃないかということになるのです私が聖心女子学院で教えていた教え子は、現在では二十五歳から三十五歳くらいになっています時々教え子の結婚式に招かれます。そんなときにスピーチを頼まれてお話しするのですが、他の人たちが、彼女たちのことを新婦は才媛で…などと、どんなに美しく優秀だったかということは言われるので、私はちょっと教訓じみた、次のようなことを話します
あなたは、今までたくさんのことを、物質的にも精神的にも受けてきました。お父様、お母様、あるいは学校の先生や友達、社会に出てからは、会社のいろいろな方から受けてきているでしょう。しかし、あなたがこれまで受けてきたのは、受けるだけのために受けてきたのではなく、与えるために受けてきたのです。

子どもにも次のことを教えておきましょう。今がその時なのです。これまで吸収してきた知識とか技術などを、ご主人のため、そしてこれから生まれる子供のため、あるいは社会のために与えるために受けてきたのです聖書の中に与えることは受けることよりも幸せであるという言葉があります。その中にはお金など物質菂なものもあるでしょうが、さらに重要なことは精神的なことです。あなたは二十何年間も与えられ続けてきたのですから、それはそれでいいのですが、これから、惜しみなく与えるために生きてきたのだということを忘れないで、生きていってほしいのです
人のために役に立つ、人に与えるために、それまで受けてきたということを知ってほしいのです。
子どもを泣かせないと気がすまない
子どもを泣かせないと気がすまない

育てるのと同じよう

母さんも謙君もお父さんには逆らえません。痛まない愛は本物ではない今の時代では、人のためにという気持ちを子供に持たせることはなかなか難しいことかもしれませんみんながみんな自分のためだけしか考えていないようにも見えるほどです。そのため、人間関係はあくまでも合理的なギブ·アンド·テイクが基本であって、それが崩れると自分だけが何とか得をしたいという、テイク·アンド·テイクでありたいと思っているようです。
親自身がそのような風潮に染まってしまっていては、ことはできないでしょう。

母さんが言い

子供に、人のために生きるということを教えるたとえば、最近の子供は、学校に行って勉強することは得にならないとでも考えているのか、また遅刻しても、お金をとられるわけではないからとでも思っているのか、遅刻する生徒が多いと聞きますところが遅刻常習の子供であってもアルバイトは遅刻せずにきちんとできるというのです。つまり得になることには敏感なのです。
つまり、これは得するからやる、これをやっても得をしないからやらないというように、基準が得か損かということになっているからです。ですから、そうなると、自分が人の犠牲になるといったことはとんでもないということになりますたしかに人の犠牲になってまで何カをするということは難しいことです。子どもの幸福を心から願ってるわけです。


育てたら知能の発達した人間 いじめたりしないわね 母さんの願い