子供たちよりもまたこんなこともあります。

母さんにこの本を読んで聞かせて!

昔は、弱い子供をいじめる子供がいると、弱い者いじめはいけない
といった注意をする子供がいたそれを注意したり止ものです。ところが、現代では、弱い者いじめは悪いことだとはわかっていても、めたりする子供がいないというのですというのは、いじめをしている子供を注意したり止めたりする子供がいると、周りの子供から格好をつけるなとかいい格好するなといった形で、その子供が逆に非難の的になるというのです。
教育も素晴らしい。

父親が厳格すぎても問題が起こる。

個性尊重の世の中だから…

自分だけ、先生にいい子に見えるように、点数稼ぎをしているといったように見られるのです。
その結果、いじめを注意したり止めたりする子供がかえっていじめられたり、仲間はずれになってしまうのです。ですから、いじめているのを注意することができにくくなって、自分は悪いことだとはわかっていながらも、いやいやいじめに加わらざるをえないといったことさえあるというのです。
このいじめの問題の背景にもあるように、どうも現代では、いいことをするとかえって、いい子ぶっているといった形で非難されることが多いようです周りからその結果、逆に、本当はやさしく正しい心を持っているはずなのに、的な態度がいいと思い込んでいるような面があるのではないでしょうかわざと悪ぶって見せる偽悪
5いいことをするのが照れ臭くて、どうしても悪ぶってしまうという年頃も確かにあります。


子供が大きくなるにつれて
子供が大きくなるにつれて

子どもの言うなりになってき

教育は簡単なものです。上品ぶっていると言われるのがいやで、わざと乱暴な言葉を使ってみたり、人に親切にするのが恥ずかしくてかえっていじわるな態度をとってしまったりするということがありますこういう年代は、普通は自然に通過するものですが、ことが多いのではないでしょうか。
どうもそのままの態度で、大人になってしまう
偽悪的な年代というのは、早いか遅いかはその子供によって個人差がありますが、早く通過してほしいものです。それを卒業した上で、何がいいことか何が悪い
ことをきちんとわきまえた大人になってほしいものです自分がいいと思うことをきちんと態度で表明できないというのは、どこかで自信がないからです。どうしても人の目が気になってしまうのです。自分がこんなことを言ったら人はどう思うだろうかとかこんなことをしたら、人がどう思うだろうかと人の目を気にしてばかりいるのです。
気にしていない振りをしているのですが、とても気にしているのです。自分の考えよりも、人の目のほうが優先されてしまって、善悪の基準がきちんとしていないから、偽悪的な態度をよしとしてしまうのではないでしょうか。
キッズダンス教室で子供自身に根強く残る感覚子どもは忘れることがあって偽善も偽悪も自分の考えよりも、人の目のほうが優先されるから、出てくる態度といえるのです毅然とした態度がとれないお母さんいいこと、悪いことという区別を、はっきりと子供にわからせるのは親の役割といえるでしょう。
たとえば芝生に入らないで下さいという立て札が立っていたとします。ところが、子供たちがみんなその芝生に入っています。自分の子供も芝生に入ろうとします。そのときにお母さんはきちんと入ってはいけませんと注意できるでしょうか。
いけませんと言ったときに、子供はきっと

子どもの場合

「だってみんなは入っているじゃない。なぜ僕だけ入ってはいけないの」と反抗することでしょう。
そのときに毅然として、お母さんであってほしいのです。
は入ってはいけませんよ。
たとえみんなが入っていてもいけないことはいけないのですよ
芝生に入っているよその子供たちにもと言えるまた、もう一歩進んで、外で遊びなさい
子供からと言えるくらいであってほしいのです。
みんながやっている
ところが、お母さんにとって、と言われると、とても弱いのです
みんなが持っていて、僕だけは持っていない
けないと思って買ってあげてしまうのです。
と言われると、自分の子供だけが仲間はずれになるといというのは、お母さんが世間体にとらわれているからです。うちの子供はせめて世間並に
んなと同じようにやっていれば安心という気持ちがあるのです。
とか
みお母さんに、自分自身のきちんとした見方がなければ困るのです。
子育てのブレない軸


母さんがうまくいっていないのです。
母さんがうまくいっていないのです。

個性や感性は自由

たとえ、みんながやっていようとも、そこで遊んではいけないと書いてあれば、その規則を守らなくてはいけないということを、子供に態度で示さなくては、子供にはわからないのです。
お母さん自身に、そういう規則を守らなくてはいけないといった気持ちが希薄だから、ていればいいという、世間並といったところで、妥協してしまうのではないでしょうか。
みんながやっ子供に例外を覚えさせてはいけない周りの人の迷惑になるような所で、子供が騒ぎ回っていることがしばしばあります。そんなとき、案外とお母さんは、子供に注意していません。こんなとき、お母さんは見て見ぬ振りをしているのです。
これは家の中でなら、注意したり叱ったりして、子供が泣きわめいても困らないけれど、人前で注意して、子供が泣きわめいたりしたら、お母さんはかえって困るということがあるのかもしれません。

教育になっていくものである。

子育てのブレない軸

母さんのまわ

それが、今から思うと惜しまれてならないのです。
しかし、誰も表立って反対をしなかったあの当時、アメリカと戦争するというのはばかげたことだなどと言ったら、それこそ、殺されたかもしれません。そのことを覚悟しても、要職にあった人がきちんと言うべきことを言わなかったというのが、後世のわれわれから見ると残念でなりません。
それで、私はそんなときキリスト教ではどういう態度をとったらいいのか、と考えてみるのです。すると、キリスト教では、徹底的に人とかかわろうとします。だから、自分が痛みながらでも人を助けるのです今、本当に社会のため、日本のためを思って、自分が泥をかぶってもかかわっていくという姿勢が必要なのではないでしょうか。

個性がないと思います。

それはたしかにそんな面倒なことはやらないほうが楽です。しかし、人からあいつばかだなと言われても、損をしても泥をかぶってでも、ものを言っていかなくてはいけないのではないでしょうか。
うちの子供とよその子供こうした現代の日本人のあり方というのは、当然子供に大きな影響を与えています。最近の子供が損得だけでしか動かないとか、自分のことしか考えないというのは、親の世代や大人たちが、そういう生き方をしているからではないでしょうか。
5よく電車の中で見かけるのは、子供がまるで自分の家の中にでもいるかのように我が物顔で走り回ったり、騒いでいる姿です。親は多少は注意したりすることもありますが、たいていは一言、二言注意するだけで、子供たちが騒いでいるのを、放任しています不愉快そうな顔をするものの、また周囲の人たちもいます。
見ていても何の注意もせずに、知らん顔をして昔はこんな子供がいると、周囲の大人が注意したり叱ったりしたものです。

 

母親も出てくるという。

先生友だち。子供たちよりもまたこんなこともあります。

よく叱ってくれましたと叱ってくれた人に感謝したものです。
そして、親のほうもところが今は、お年寄りが注意したりすると、親のほうは、いかにも迷惑そうに余計なおせっかいをするなといわんばかりの態度です。自分の子供は自分のものであって、他人には口を挟ませないといわんばかりです。ですから、みんなもよその子供はあくまでもその親のものであって、何をしても他人は口を出せないといった風潮なのです。
子供というのは、さきほども言いましたが、親の所有物ではなく天からの授かりものであり、預かりものなのです。

母さんにしてみればさっさと食べてほしいでしょう。そう考えれば、子供の教育ということには、親だけがかかわりを持つのではなく、すべての大人の責任、社会の責任なのではないでしょうか。
自分の子供ではないからどうでもいいという態度は次代を背負う人間に対して、無責任ではないでしょうか。そこで、親にはいやな顔をされてもきちんと注意していかなくてはいけないのではないでしょうか
他人の子供ならばどうでもよく、自分の子供さえよければいいといっても、社会全体がよくならなければ、自分の子供も幸せにならないはずです。世の中全体が悪いのに、自分たちだけが幸せであるといぅことはできません。みんなが幸せになれるような世の中であるからこそ、自分たちも幸せになれるのです。
ですから、悪いことをしている子供を見かけたら、はきちんと注意してほしいものです。
子供の励み
子供の励み

母親にはふだん

成績ですし誇るに値するものです。たとえ自分の子供でなくても勇気を持って、大人自分の子供ではないから関係ないという態度が、子供の問題をますます大きくすることになるのです。
そういうときにきちんと注意できない大人は、自分の子供であっても、体も大きくなって注意したり叱ったりすると、逆に親のほうが、子供に暴力を振るわれてしまうというので、恐れて何も言えない親になるのではないでしょうか。こうした小さな芽が、女子高校生の監禁·殺人といった大きな事件を引き起こすもとにもなるのです。
大人たちがきちんとした気概を持って生きてほしいのです。
うつす鏡でもあるのです。

しつけの甘さについて

子供たちの姿は、親の姿、社会の実情を子供にいくら友達と仲よくしなさいと言っても、お父さんとお母さんが家庭の中で喧嘩ばかりしているのならば、子供は親の言うことなどまともにはききません。
かがみもう一度、親は子供の鑑であること、子供は大人をうつす鏡であるということを、お父さん、お母さんは十分にかみしめてほしいのです。そこで、社会のため、人のためという大きな視点を持って、子供に接してあげてほしいものです。

人間としての基本を大切に

人の目に振り回されていないかΦ悪ぶった態度をとってしまう理由一時期、学校内での生徒同士のいじめということが大きな問題になったことがあります。今はマスコミなどでは、あまり騒がれなくなりましたが、どうもいじめの問題は解決したわけではないようです。
この問題の背景にはどういうことがあるのでしょうか。子どもの気持になってみてそれを受容できるよう


子供たちよりもまたこんなこともあります。 母さん自身に根強く残る感覚 子供たちよりもまたこんなこともあります。