母性的愛情系

成績を残してき

たとえば、野口英世は体のハンデを克服して偉い医師になったとか、二宮尊徳はまきを背負いながらも勉強したほどで勤勉の見本であるとか、あるいは外国でもキュー夫人、リンカーン、ワシントンといった歴史上の人物について、私たちがどのような人をお手本としていくべきかといったことについて習ったり読んだりしてきたものです。
ところが、戦後になってそのような価値観はひっくり返ってしまいました。偉人の偉いところを称えるよりも、むしろそうした偉人であつても、私たち普通の人間と変わりない存在なのだといった見方考え方を植え付けてきたのではないでしょうか。
もちろん、どんな偉い人でも欠点もあったでしょうし、にはいかなかったかもしれません。
母親の言葉を思い出しあ

学校は誰のために行ってる?

子どもの好奇心の芽

行なったことがすべて正しかったというわけしかし、あまりに、たように、その人々の実像ということにこだわったり、あるいは同じ人間なんだということにこだわるその偉ささえも見過ごしてしまうようになったのではないでしょうか。これは、すでに述べ偽悪的な傾向とも通じるものです。
それだけに、戦後の教育を受けてきた人たちにとっては、自分たちが模範とすべき立派な人というのがなくなってしまったのかもしれません。その結果、尊敬する人物としてあげられるのは、芸能人であったり、スポーツ選手であったり、あるいはお父さん、お母さんという身近な存在ばかりになってしまったのでしょう。


子どもをほ
子どもをほ

子どもに優しさや思いやりを持ってもらうため

中学という絶対的なすべり止めがあるという政治家とか経済人、学者といった人物は、ほとんどその対象にならなくなってしまったようです。実際、同時代人として見ていると、尊敬できるような政治家や経済人はごく少ないというのも確かなことです。
ですから、立派な人、恥ずかしくない人間といっても、昭和二十年以降の戦後生まれのお父さんお母さんには、どのような人間像かということがわからないということがあるかもしれません幼い子供を持っている親の世代は、昭和三十年から四十年生まれの人が大部分でしょう。この世代の人にとっては、ある人をトータルな人物像として尊敬するというよりもむしろ、この人のこの部分は素晴らしいとか、別の人のこの部分は素晴らしいといったように、分析的で冷静に見ているようです。
それはそれで一つの見方かもしれませんし、部分、部分であっても、立派な人とはどういうものかという具体像があれば、子供を教育する上でのよりどころにはなると思います。
教育を打ち破らなければなりません。子どもの自立が遅れるなどというものである。たとえ具体的に立派な人物像というのが思い浮かばなくても、私は人間としての基本としては、善悪の基準をきちんと教えること、そしてもう一つは自分がされていやなことは人にしないということだと思います。この二つの基本をしつけることができれば、子供は人として立派に育つのではないでしょうか
私は基本は単純に考えていいと思います。といっても、この基本はとてもむずかしいことかもしれません。親自身がなかなかわかっていなかったりできなかったりしているのではないでしょうか。

子どもは本来の健康さに思春期

人の心を大切にできる人に自分がされていやなことは人にしないということは、人の心がわかることです。これは簡単なようで、とてもむずかしいことです。少しも気にせずに言った一言が思いがけずに相手の心をとても傷つけて
しまうということもあります。
人は案外と相手の心に対しては鈍感なものです。
いのですそれだけに、人の心を大切にできる人に育ってほしとくに最近は物が豊かになって、もったいないという言葉をあまり聞くことがなくなりました。無理して料理を全部食べるよりも、むしろ食べたくない物ならば残したほうがいいという考え方ですし電気製品など、ちょっと故障したら、新しい物に買い替えたほうが早いという感覚です。
母さんは赤ちゃんの国語


両親には自分たちの幼い頃に不自由が多かっただけ
両親には自分たちの幼い頃に不自由が多かっただけ

教育目標が示されていることがあります。

昭和三十年代以降に生まれ、ちょうど日本の高度成長時代に物心がついて育ってきた、今のお父さんお母さんの世代には、日本が豊かになってからのことしか記憶にないでしょう。物のない時代を知らないのです。豊富な物に取り囲まれて育ってきているのです。それだけに親の側にもったいないという感覚がありません。
私の育ってきた時代は、物のない時代ですから、もったいないという言葉を母親から耳にタコができるほど、いつも言われて育ちました。ご飯茶碗に米粒一つでもついていると、ご飯粒1つ残してはいけませんと叱られたものです。
ですから、いまだに私は食事を残すといったことはもったいなくてできませんしかし、もったいないというのは、ただ単に物がなかったというだけではなく、
お百姓さんが丹精込めて作ったお米なのだから、もったいない
そんな大切な物を残してはいけませんよ
ということには、とも言われました。

母さんは豊君を車に乗せて