しつけを行なっていれば本来ならばるはずですそん

母さん変わったね

母さんのまえ
先生方もどう

校則が生徒のためでなく先生のためにあるなどといった批判がされ、校則そのものの存在の是非なども出ているようですが、規則のない社会はありません。
校則すら守れない子供が社会に出て、社会の規則が守れるのでしょうか。車を運転すること一つにしても交通規則があって、たとえば赤信号で止まるという規則を誰が赤信号で止まれなどと決めたのか自分は自分の勝手にするなどと規則を守らずに勝手に行動したら、事故が起こるのは当然のことです。
遊びですら、規則があるのです。野球にしても、打ったら、一塁に向かって走り、順番に二塁、三塁と回ることになっています。
それを、自分は勝手に三塁から回りたいといっても通用しません。
お互いに規則を守って、そのためにある程度不自由であっても、その規則に従って行動することによって、逆にお互いの自由が保障されるのです。

子どもや家族にかかわっていってほしいものです。

それが民主主義です。ですから、学校に校則という規則があるのは当然のことであって、それすら守れないようでは、社会に出てから困るのではないでしょ
といっても、現在の校則がすべていいといっているわけではありません。なかには行き過ぎもあるかもしれません。校則が細かくなっているのは確かでしょう。髪にパーマはかけてはいけないとか、髪を染めてはいけない、制服のスカートの丈はどのくらいなどといったことまでが校則で決められているようですなぜこのように細かいところまで校則で決めなくてはならなくなったかというと、常識が通用しなくなったからでしょう。

学校の授業はとにかく退屈だ

普通は、高校生ならば、やはり高校生らしい服装の範囲があります。それが通用しないから、いちいち細かい規定を作らなくてはいけないのでしょう。
家庭できちんとしつけを行なっていれば、本来ならば、るはずですそんなことを学校のほうで決めなくてもわか私も聖心女子学院で教えていたときには、生徒手帳に記されている校則を決めるというときには、職員会議でいつもいろいろと論議があったものです。これを削るかこれを増やすかということで、先生はみんな頭を悩ませていました。
もちろん規則など作らなくても、うまくやっていけるのがもっとも理想的ですし、最低限の規則だけを定めていけばいいというのがいいのでしょうが、家庭のしつけがなされていないために、規則をさらに細かくしなくては、学校という社会がうまく維持できなくなっているというのが現状なのではないでしょうかあなたが規則を守れば、規則があなたを守るという交通標語がありますが、規則というのは、そういうものです。しつけを行なっていれば本来ならばるはずですそん

子どもが小さいときほど

集団、社会であれば、どこにいっても規則があるのです。それは人を不自由にして縛るものではなく、社会生活をスムースにするためのものなのです。
こうした約束事が通じないから、校則がさらに細かくなり、しょう。約束事とは、基本的なしつけです。
行き過ぎるといったことも生じるので本来家庭でなすべき基本的なしつけまでを全部学校に任せてしまっているのです。このことは、お父さん、お母さんが、子供に対して日ごろから、どのようにして接しているのかということが大きいのですこんな時代だから親は毅然と今学校で起こっているいろいろな問題というのは、本来ならば、学校に行きたくないのにもかかわらず、無理に学校に行っているという子供が多いことも大きな原因だと思います。すでに少し触れましたが、みんなが高校に進むから、自分の子供も高校くらいは卒業していないと困るといった考え方が、親の側にあるのです。
子供にはそれぞれの得意、不得意があるのですから、あげる必要があるのではないでしょうかその子供に応じた道を親が子供と一緒に考えて
前のページでも触れたように、他人の目がどうしても気になって仕方がないのです。

子どもの人格形成のため
子供の苦手教科を作ってしまうことがあります。

学校の制服を含めた服装について

母さんたちはよく理解していない。世間体とか、見栄虚栄心のために、子供のお尻をたたいて、進学させる、いい学校に入れたいという気持ちが、親、とくにお母さんには強いのではないでしょうか。
他人の目が、自分たちの行動基準になっているのです。もちろん、人の目もそれなりに大事でしょうが、それはすべてではありません。自分がどんなに正しいことをしていても、足を引っ張る人というのは、出てくるものです。
私はカトリックの信者ですから、神様が見ていらっしゃったら、どうお思いになるのかというのが基準です。人は完ぺきな存在ではありませんから、どうしても間違えることがあります。先生だって間違えることはあるし、お父さん、お母さんも間違えることもあれば、知らないこともたくさんあります。

学校のベンキョウ

気にしている他人というのも、つねに正しい判断をしているわけではないのです。
ですから、私は神を畏れて、人を恐れずといつも言うのです。人それぞれの見方、考え方があるのです。いちいち人の目ばかり気にしていたら、この複雑な世の中で、何が正しく、何が間違っているのか、わからなくなってしまいます。
両親がそういう見方をきちんと持っていれば、子供に対しても、毅然と接することができるはずです。
子供に対して毅然とした態度をとれないのは、親のほうが、世間の目、他人の目に振り回されているからです。正しいこと、間違ったこと、人間としての基本的な礼儀、言葉遣いなど、きちんとしたしつけ、けじめのある教育をするためには、お父さん、お母さんが人の目ばかり気にするのではなく、神の目というような、視点を持ってほしいのです。


しつけを行なっていれば本来ならばるはずですそん しつけを行なっていれば本来ならばるはずですそん 子どもの衝動性が低かった。